自分自身の人生を生きてみませんか? From 「マネー」と「幸せ」のアンカー
1.まず、不況を楽しもう!!
「『不況を楽しめ』とは、いきなり何だ」、「失業するかもしれないし、給料が減るかもしれないという時に何を言っているのか」とお叱りを受けてしまうかもしれない。でも不況だからこそ、人生を楽しめるということもある。
確かに、これから未曾有の不況が襲ってくる。失業者が街に溢れ、ボーナスは減額、給料だって減るかもしれない。金銭的な面では、厳しい局面がやってくる。
そこで、目を‘時間’に向けてみよう。
恐らく会社の売り上げはどんどん落ち込み、最初はそれを取り返そうと遮二無二働くことになるかもしれない。しかし、この売り上げ減少は、会社や社員の努力ではどうにもならない状況、つまり世界大不況から起きている。
それが分かったとき、会社が何をするのか。労働投入量を減らして、コストを下げようとするだろう。まず、非正規社員の首切りであり、それに伴う正社員の労働強化である。そうした事態は既に顕在化している。次は、時短(じたん)である。残業がなくなる。それでもダメなら、リストラである。ワークシェアリングも検討されている。
こうした状況は、私たちに何をもたらしてくれるのか。
そう、‘時間’を与えてくれるのである。
こうして与えられた時間に、何をするのかによって、人生は大きく変わってくる。
「仕事を探さなければ」と焦って奔走したり、「これから、どうなるのだろう」とか「失業に備えて、何かしなければいけない」といった‘不安’の気持ちでいっぱいになり、何も手につかない状況に陥ってしまうかもしれない。
私もかつて、リストラされ、「次の仕事を探さなきゃ」と焦った日々を送ったことがある。十分なお金があり、しかもかなりの高額の給料を半年も貰い続けているにも拘わらずである。今の豊かさ(この場合は、金銭的なもの)よりも、将来の不安が頭を占めてしまっていたのである。
それ故、これから迎えるであろう苦難は、筆舌に尽くしがたいほど、人々のこころを悩ますことも理解できる。
しかし、不安や恐怖を感じていても、何も始まらない。
「どうせ、ダメなら」と開き直ってしまうのも手である。
残業が無くなり、夜の時間が長くなったら、愚痴を言い合うために飲みに行くのではなく、今まで忙しくて出来なかったことにチャレンジしたり、楽しんでしまうのは、いかがだろうか。
リストラされてしまったら、もちろん職探しをしなければならないだろうが、もし半年くらい食べていけるほど経済的余裕があるのなら、いっそのこと、まとまった時間がなければできないので、これまでやりたくてもできなかったことをやってみる、というのもいいのではないだろうか。
これまでの延長線上でもがき苦しんでも、何も見えてこないし、何も得ることはできない。
今回の不況は、今までの不況とは違う。世界の社会構造が変化していく端緒としての不況であるから、今までの発想で生きていたら、ジリ貧であることは目に見えている。
もし今、リストラされたなら、人より先にリストラされて、幸運だったと思うことはできないだろうか?
なぜなら、自分自身を変えるチャンスを、先に与えてもらったのだから。
多くの人は、自分から自分を変える、ということはできない。変化が怖いこともあるし、今保有しているもの(職業など)を、つまり現状を過大評価してしまうという習性があるからである。
人は自ら、快適な状態(Confort Zone)から脱することはなかなか出来ないものである。なぜなら、そこを抜け出すことは、不安を伴うからである。しかし、この快適状態の中では、何も進歩しない。
リストラされて、この快適状態を追い出されたということは、進歩への第一歩なのである。最初の不安は、いつの間にか消えていくものである。そのチャンスを、この不況が与えてくれたのである。
まさに「人生に対するメッセージが、最善のタイミングで与えられた」のである。
そして「自分らしさの創造とは、静的な出来事ではない。変化や進歩が永遠に必要とされる営みなのである」。
「これまでの通りで、本当に幸せでしたか?」と自問自答して欲しい。
そうであったなら、リストラなどで現状維持が出来なくなったとしたら、大変不幸なことであろう。
しかし、「本当に幸せ」、「本当に満足」している人など、ほとんどいないであろう。
「ご飯を食べなければならないから、仕方なく仕事している」、「特にしたいことも見つからないから、サラリーマンを続けていよう」といった理由で、今までの生活をしている人が多いのではないだろうか。
「お金からの自由」が無いのである。
「鏡の法則」をご存知だろうか?
‘人生は、自分のこころを映し出す鏡’である、という法則である。
物事には、必ず原因があって結果がある。リストラされた原因は、あなたの心の中にあったのではないだろうか?
あなたは、新たな進歩をしたいと、実は心の中で願っていたのではないだろうか。
ニーチェが言っている。
「なぜ、群畜(*)のままでいるのか。
なぜ、自分の人生を創造し、自分自身の人生を生きないのか」と。
(*)群畜とは、他人によってデザインされた人生、没個性的な人生を送る人のこと
本当の自分の人生を生きてみませんか?
さて、上記の文章は、2008年終わり頃に書かれ、2009年3月に上梓された
「大恐慌でもあなたの資産を3倍にする投資術」の第5章第1節から抜粋したものです。
再度、読み返していただく時がやってきたと思われます。
株価が上昇しており、まだ不況に陥っていない状況ですが、もうすぐ不況が訪れることになるでしょう。
よしんば、不況が訪れなかったとしても、日本では構造上、中産階級が没落・衰退していっており、貧困層も拡大を続けています。
こうした中、よりどころになるのは、「こころの豊かさ」だと思います。
このブログのタイトルにありますように、こころ豊かに生きていくための考え方を連載していきます。
「『不況を楽しめ』とは、いきなり何だ」、「失業するかもしれないし、給料が減るかもしれないという時に何を言っているのか」とお叱りを受けてしまうかもしれない。でも不況だからこそ、人生を楽しめるということもある。
確かに、これから未曾有の不況が襲ってくる。失業者が街に溢れ、ボーナスは減額、給料だって減るかもしれない。金銭的な面では、厳しい局面がやってくる。
そこで、目を‘時間’に向けてみよう。
恐らく会社の売り上げはどんどん落ち込み、最初はそれを取り返そうと遮二無二働くことになるかもしれない。しかし、この売り上げ減少は、会社や社員の努力ではどうにもならない状況、つまり世界大不況から起きている。
それが分かったとき、会社が何をするのか。労働投入量を減らして、コストを下げようとするだろう。まず、非正規社員の首切りであり、それに伴う正社員の労働強化である。そうした事態は既に顕在化している。次は、時短(じたん)である。残業がなくなる。それでもダメなら、リストラである。ワークシェアリングも検討されている。
こうした状況は、私たちに何をもたらしてくれるのか。
そう、‘時間’を与えてくれるのである。
こうして与えられた時間に、何をするのかによって、人生は大きく変わってくる。
「仕事を探さなければ」と焦って奔走したり、「これから、どうなるのだろう」とか「失業に備えて、何かしなければいけない」といった‘不安’の気持ちでいっぱいになり、何も手につかない状況に陥ってしまうかもしれない。
私もかつて、リストラされ、「次の仕事を探さなきゃ」と焦った日々を送ったことがある。十分なお金があり、しかもかなりの高額の給料を半年も貰い続けているにも拘わらずである。今の豊かさ(この場合は、金銭的なもの)よりも、将来の不安が頭を占めてしまっていたのである。
それ故、これから迎えるであろう苦難は、筆舌に尽くしがたいほど、人々のこころを悩ますことも理解できる。
しかし、不安や恐怖を感じていても、何も始まらない。
「どうせ、ダメなら」と開き直ってしまうのも手である。
残業が無くなり、夜の時間が長くなったら、愚痴を言い合うために飲みに行くのではなく、今まで忙しくて出来なかったことにチャレンジしたり、楽しんでしまうのは、いかがだろうか。
リストラされてしまったら、もちろん職探しをしなければならないだろうが、もし半年くらい食べていけるほど経済的余裕があるのなら、いっそのこと、まとまった時間がなければできないので、これまでやりたくてもできなかったことをやってみる、というのもいいのではないだろうか。
これまでの延長線上でもがき苦しんでも、何も見えてこないし、何も得ることはできない。
今回の不況は、今までの不況とは違う。世界の社会構造が変化していく端緒としての不況であるから、今までの発想で生きていたら、ジリ貧であることは目に見えている。
もし今、リストラされたなら、人より先にリストラされて、幸運だったと思うことはできないだろうか?
なぜなら、自分自身を変えるチャンスを、先に与えてもらったのだから。
多くの人は、自分から自分を変える、ということはできない。変化が怖いこともあるし、今保有しているもの(職業など)を、つまり現状を過大評価してしまうという習性があるからである。
人は自ら、快適な状態(Confort Zone)から脱することはなかなか出来ないものである。なぜなら、そこを抜け出すことは、不安を伴うからである。しかし、この快適状態の中では、何も進歩しない。
リストラされて、この快適状態を追い出されたということは、進歩への第一歩なのである。最初の不安は、いつの間にか消えていくものである。そのチャンスを、この不況が与えてくれたのである。
まさに「人生に対するメッセージが、最善のタイミングで与えられた」のである。
そして「自分らしさの創造とは、静的な出来事ではない。変化や進歩が永遠に必要とされる営みなのである」。
「これまでの通りで、本当に幸せでしたか?」と自問自答して欲しい。
そうであったなら、リストラなどで現状維持が出来なくなったとしたら、大変不幸なことであろう。
しかし、「本当に幸せ」、「本当に満足」している人など、ほとんどいないであろう。
「ご飯を食べなければならないから、仕方なく仕事している」、「特にしたいことも見つからないから、サラリーマンを続けていよう」といった理由で、今までの生活をしている人が多いのではないだろうか。
「お金からの自由」が無いのである。
「鏡の法則」をご存知だろうか?
‘人生は、自分のこころを映し出す鏡’である、という法則である。
物事には、必ず原因があって結果がある。リストラされた原因は、あなたの心の中にあったのではないだろうか?
あなたは、新たな進歩をしたいと、実は心の中で願っていたのではないだろうか。
ニーチェが言っている。
「なぜ、群畜(*)のままでいるのか。
なぜ、自分の人生を創造し、自分自身の人生を生きないのか」と。
(*)群畜とは、他人によってデザインされた人生、没個性的な人生を送る人のこと
本当の自分の人生を生きてみませんか?
さて、上記の文章は、2008年終わり頃に書かれ、2009年3月に上梓された
「大恐慌でもあなたの資産を3倍にする投資術」の第5章第1節から抜粋したものです。
再度、読み返していただく時がやってきたと思われます。
株価が上昇しており、まだ不況に陥っていない状況ですが、もうすぐ不況が訪れることになるでしょう。
よしんば、不況が訪れなかったとしても、日本では構造上、中産階級が没落・衰退していっており、貧困層も拡大を続けています。
こうした中、よりどころになるのは、「こころの豊かさ」だと思います。
このブログのタイトルにありますように、こころ豊かに生きていくための考え方を連載していきます。
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