覇権の移り変わり

後の日本を占う上で、先人である英国、アメリカがどうなっていったかをみていきましょう。


英国は19世紀後半(1870年代)のビクトリア王朝時代に最盛期(パックス・ブリタ
ニカ)を迎えましたが、一方、統一を果たしたプロイセン(後のドイツ)などの新興工業
国の発展により、貿易面では苦戦を強いられるようになり、成熟化していきました。


更に、英国の大債権国の基盤を揺るがしたのは、まずは、第1次世界大戦で、
戦費調達に経済の混乱と第2次世界大戦によって、世界盟主の座を完全に明け
渡すことになったのです。


英国の大債権国の地位は後退し、アメリカが資本輸出の中心となったのです。


しかし、英国の経常収支は1986年まで黒字であったし、経常赤字国に
なることはあっても、対外純資産は黒字を維持したまま、現在でも世界の上位の
純資産国の地位をキープしています。


一方、アメリカは1960年代に第1期黄金時代(パックス・アメリカーナ)を
迎えましたが、その最盛期には早くも貿易収支の黒字額が減少し、1971年には
遂に赤字化するに至っています。


71年8月、ニクソン・ショックといわれる金とドルの兌換停止が起き、ドルが
金という裏付けを失い、各国通貨もドルとリンクできなくなり、世界経済は大混乱
を極めました。スミソニアン合意に基づく固定相場制の維持への努力も短期間で挫
折し、ここに変動相場制が誕生することになりました。


70年代後半になるとベトナム戦争敗退、イラン革命とそれに起因した第2次石油
ショック、在イラン大使館人質事件、ソ連によるアフガニスタン侵攻など政治的な危
機が目白押しで、経済的には経常収支が趨勢的に悪化し、通貨としてのドルが下が
り続けるという時代となっていきました。


そうした中、80年代になって、「強いアメリカ」、「強いドル」を標榜して
ロナルド・レーガンが大統領として誕生しました。経常収支の赤字を埋めるため、
いわゆるサプライサイドの経済学に従って、強いドルと高金利により
海外マネーを取り込み、資本の純輸入国となってしまったのです。


81年の対外純資産が1400億ドルと最大になった後、84年にはそれが
ほぼゼロとなり、その後も経常赤字を埋めるべく、日本を始めとした海外マネーが
米国債を大量に購入するという形で、アメリカは世界最大の債務国となったのです。


その間、日本は順調に経常収支黒字を積上げ、対外純資産世界一の地位に上り
詰め、遂に日本が世界最大の資本輸出国となり、覇権を握った、
いや握るはずでした



しかし、アメリカの言いなりであった日本は、対外資産のほとんどを米国債の購入
という形でアメリカにつぎ込み、アメリカのマネー循環の一部と化し
てしまったのです



つまり、アメリカと日本の収支を足せば、アメリカの資本輸出国としての地位を
維持できていることになり、ドルは基軸通貨としての地位を保てたのです。


97年に始まったアジア通貨危機が起きた時、円という通貨圏を作ろう
としたときがありましたが、これもアメリカに潰され、円が基軸通貨になる最後の
チャンスを失うことになりました。


ここまでが、英国、アメリカ、そして日本の覇権に関する歴史です。世界盟主の座
を射止められなかった日本が模索するべき今後の道としては、アメリカ(特に、ドル)
との関係を薄め、少なくても経済的には、英国に倣って超長期にわたる繁栄を続ける道を探るべきと考えます。

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