何のために「豊かさ」を求めるのか
今回は、「豊かさ」について考えてみたいと思います。
何のために「豊か」になるか、ということです。
僕の場合、「楽しく」、「自由に」生きるためなのです。
しんどいことはしたくないし、嫌な人とは付き合いたくないし、お金のために自分を売るなんてことはしたくないし、とにかく、全てを自分の意思で選択する「自由」を手に入れるためです。
お恥ずかしながら、サラリーマン時代は、嫌なことしかなかったといっても過言ではなかったですね、僕の場合。
固定された人間関係、おかしなことをおかしいと言えない環境、その会社で生き抜くためだけの政争、決められた時間の出社、枚挙に暇がなかったですね。
2000年に独立して、ベンチャー・ビジネスを立ち上げました。「投資教育」、「金融コンテンツ」政策・販売を行う事業です。
当時はITバブル真っ盛りで、売り上げも無くても、見えない将来性(?)でお金を出す人が一杯いました。創業して半年で、5万円だった株を20万円で買う人がたくさん出てきました。株式の3分の2買わせてくれという上場企業もいました。
3分の2も株を持たれてしまったら、その会社はもはや自分たちのものではなくなり、またサラリーマンに成り下がってしまうことになります。
だけど、売らなかった最大の理由は、それではありません。たった4倍で売ってしまっては面白くないと感じてしまっていたのでした。もうこうなってくると、事業をしているというよりも、お金を追い求めているだけでしたね。
その後も何社かの会社を立ち上げていき、そこそこのお金は稼いでいましたが、「豊かさ」は得られなかったですね。
そんなある日、私がインフルエンザにかかり会社で寝込んでいるとき、ある友人が中村天風氏の「君に成功を贈る」という本をプレゼントしてくれました。
熱にうなされながらこの本を読んだときに、私は人生の転機を迎えたのでした。
その中で、「思いどおりの人生に生きる」という章題にハッとしました。特に「思いどおり」という言葉に、何でこんな生き方をしているのだろうかと、思わず自問してしまいました。
それまでの私は、お金が手に入れば、十分にあれば、何でもできる、少なくても99%の幸せは買えると、極端に言えば思っていました。それ故、お金を追い求めていたのかもしれません。
そういう想いが、これまでの自分の人生を造って来てしまったということに気付いたのでした。まさに、「思考は現実化する」ですね。
そこで、自分にとって「幸せ」とは何かということを、それ以来ずっと考えてきました。
そして出た結論が、「楽しく」、「自由に」生きて、「豊か」になる-ということだったのです。現在、ライフワークとしてやっている「オーストラリア大地のめぐみ倶楽部」(http://www.daichi-megumi.jp/)は、それを実現する具体的な試みなのです。
「豊かさ」には、物質面と心理面の両面があると、第1回目に書きましたけど、本当のことを言えば、「豊かさ」とは自分の内面にあるだけなのです。なぜなら、「豊かさ」を感じられるのは、「こころ」だけだからです。
仮に、お金、不動産、貴金属をたくさん所有していたとしても、それはそれらを所有しているという事実に過ぎないのです。その「事実」に対して、自分がどう「想う」かで全て決まってくるのではないでしょうか。
ですから、自分が「豊かだなー」、「幸せだなー」と想う意識を持つことが重要になるのではないでしょうか。
「豊かさ」とは何か?という問いに対しては、「豊かさ意識」を持つことが「豊かさ」そのものということになると私は考えます。
しかし、私を含め凡人は、この資本主義社会では、お金がないとどうしても「豊かさ」を感じられません。「豊かさ意識」の前に、「不安」が先に来てしまいます。それは仕方の無いことなのです。自己防衛・生存本能が意識に優先してしまうのです。人も動物ですから、それはそれとして受け入れるしかないのです。
これを克服するために、精神修行などをするというのも一つの方法かもしれませんが、僕が考え出した方法は、まず物質的に「豊か」になってしまうことです。
それじゃ、以前に私がしてきた、お金を追い求めることと変わらないとご批判を受けるかもしれませんね。
でも、ちょっと違うのです。
その違いは、そのプロセスです。お金を稼ぐだけならある意味、簡単です。でも、私の方法は、自分の「こころ」に従ったプロセスで物質的な「豊かさ」を享受していこうというものなのです。
僕の場合、「楽しく」、「自由に」生きるためなのです。
しんどいことはしたくないし、嫌な人とは付き合いたくないし、お金のために自分を売るなんてことはしたくないし、とにかく、全てを自分の意思で選択する「自由」を手に入れるためです。
お恥ずかしながら、サラリーマン時代は、嫌なことしかなかったといっても過言ではなかったですね、僕の場合。
固定された人間関係、おかしなことをおかしいと言えない環境、その会社で生き抜くためだけの政争、決められた時間の出社、枚挙に暇がなかったですね。
2000年に独立して、ベンチャー・ビジネスを立ち上げました。「投資教育」、「金融コンテンツ」政策・販売を行う事業です。
当時はITバブル真っ盛りで、売り上げも無くても、見えない将来性(?)でお金を出す人が一杯いました。創業して半年で、5万円だった株を20万円で買う人がたくさん出てきました。株式の3分の2買わせてくれという上場企業もいました。
3分の2も株を持たれてしまったら、その会社はもはや自分たちのものではなくなり、またサラリーマンに成り下がってしまうことになります。
だけど、売らなかった最大の理由は、それではありません。たった4倍で売ってしまっては面白くないと感じてしまっていたのでした。もうこうなってくると、事業をしているというよりも、お金を追い求めているだけでしたね。
その後も何社かの会社を立ち上げていき、そこそこのお金は稼いでいましたが、「豊かさ」は得られなかったですね。
そんなある日、私がインフルエンザにかかり会社で寝込んでいるとき、ある友人が中村天風氏の「君に成功を贈る」という本をプレゼントしてくれました。
熱にうなされながらこの本を読んだときに、私は人生の転機を迎えたのでした。
その中で、「思いどおりの人生に生きる」という章題にハッとしました。特に「思いどおり」という言葉に、何でこんな生き方をしているのだろうかと、思わず自問してしまいました。
それまでの私は、お金が手に入れば、十分にあれば、何でもできる、少なくても99%の幸せは買えると、極端に言えば思っていました。それ故、お金を追い求めていたのかもしれません。
そういう想いが、これまでの自分の人生を造って来てしまったということに気付いたのでした。まさに、「思考は現実化する」ですね。
そこで、自分にとって「幸せ」とは何かということを、それ以来ずっと考えてきました。
そして出た結論が、「楽しく」、「自由に」生きて、「豊か」になる-ということだったのです。現在、ライフワークとしてやっている「オーストラリア大地のめぐみ倶楽部」(http://www.daichi-megumi.jp/)は、それを実現する具体的な試みなのです。
「豊かさ」には、物質面と心理面の両面があると、第1回目に書きましたけど、本当のことを言えば、「豊かさ」とは自分の内面にあるだけなのです。なぜなら、「豊かさ」を感じられるのは、「こころ」だけだからです。
仮に、お金、不動産、貴金属をたくさん所有していたとしても、それはそれらを所有しているという事実に過ぎないのです。その「事実」に対して、自分がどう「想う」かで全て決まってくるのではないでしょうか。
ですから、自分が「豊かだなー」、「幸せだなー」と想う意識を持つことが重要になるのではないでしょうか。
「豊かさ」とは何か?という問いに対しては、「豊かさ意識」を持つことが「豊かさ」そのものということになると私は考えます。
しかし、私を含め凡人は、この資本主義社会では、お金がないとどうしても「豊かさ」を感じられません。「豊かさ意識」の前に、「不安」が先に来てしまいます。それは仕方の無いことなのです。自己防衛・生存本能が意識に優先してしまうのです。人も動物ですから、それはそれとして受け入れるしかないのです。
これを克服するために、精神修行などをするというのも一つの方法かもしれませんが、僕が考え出した方法は、まず物質的に「豊か」になってしまうことです。
それじゃ、以前に私がしてきた、お金を追い求めることと変わらないとご批判を受けるかもしれませんね。
でも、ちょっと違うのです。
その違いは、そのプロセスです。お金を稼ぐだけならある意味、簡単です。でも、私の方法は、自分の「こころ」に従ったプロセスで物質的な「豊かさ」を享受していこうというものなのです。
(続く)
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