2010年11月26日金曜日

「人生の成功」に対する考え方の進化、深化

では、人生の成功とは、何でしょうか?

 前節で、一般的な成功者と言われている方で、自分の望む生き方をしている方が少ないのではないか、というようなことを申し上げました。もちろん、ちゃんと自分の望む生き方をされている方も沢山いると思いますが、そうでない方にはそうでない理由があります。

 あくまで私たちが想像する成功者のイメージの方ですが、その成功とは、「金、名誉、地位」といったものを手に入れることになります。

 では、「金、名誉、地位」はどのようにして手に入れるのでしょうか?それは競争において勝者になることで手に入れることができるのです。

 この勝者になる考え方というものは、これまでの学校教育において幼少のころから刷り込まれてきたといっても過言ではなく、若い人ほど強く持っている傾向があります。学歴偏重社会は、明治に作られた官僚制度の基盤人材を作り上げるために作られた学校制度に由来します。優れた官僚制度は国の基盤を強くし、他国と競合していく帝国主義時代には必要不可欠なものでした。戦後復興においても強力な官僚制度は威力を発揮し、限られた資源を有効活用し、欧米に追いつき追い越せと頑張ってきた日本を支えてきました。

 しかし、この官僚制度がワークしなくなってきました。それは(高級)官僚というものが、地位の象徴であり、晩年に金を得る手段となってきたからです。かつての志(こころざし)を持った公僕としての官僚は消滅し、私利私欲に走る官僚が日本を支配する時代になっています。

 勉強で一番になり、東大に入り、上級国家公務員試験に上位で合格し、あとは入った省庁内での競争に打ち勝つだけ、これが官僚の実態となっています。

 つまり、勝者になるために日夜努力しているようなものです。しかし、この中でも次官となれるのは5年次でひとりくらいであり、勝者となれる人は限られています。

 こうした勝者になる競争は何も官僚組織に限られたものではありません。民間企業でもそうでしょうし、企業同士の競争にしてもそうでしょう。

 しかし、勝者になれる者はほんの一握りの人であって、大半の人は敗者となるわけですから、勝者になる考え方では、ほとんどの人が「人生の成功者」になれません。

 そこで次に出てくる考え方が、達成するという考え方です。他人との競争ではなく、自分の目標をたて、そこに自分なりの方法や時間で到達しようという考え方です。

 目標を定め、そこに向かって努力すれば成功するという考え方で、一見素晴らしい考え方に思われるのですが、この段階でも問題が起きます。

 それは、目標を立てても必ずしも目標が成就するとは限らない、ということです。目標が大きければ大きいほど、ゴールが遠ければ遠いほど、到達しない可能性が高まります。努力が全て報われるわけではないことは自明の理です。運も左右することになるでしょう。

もう一つの問題は、よしんば目標に到達したとしても、人生はまだ続くということです。大きな夢・目標を達成してしまった後、その達成感に満足してしまい、放心したような晩年を暮らす人もいます。素晴らしい目標・夢を実現できたとしても、残りの人生をどう生きるのか、という問題が立ちはだかるのです。

更に大きな目標を掲げて、邁進することになるのでしょうか。こうした意欲的な取り組みは賞賛に値するとは思いますが、この意欲がどこから生まれてきているのか、という落とし穴があります。

 こうした意欲的な心理は、「欠乏感」から生まれているのです。何かが足りないから、次から次へと何かを達成することで、自分は小さな存在ではないと主張したい‘こころ’を持つのです。

 人は、この広大な宇宙に比して、僅小な存在に過ぎないが故に、自分は小さくない、矮小な存在ではないと主張したいが故に感じる「欠乏感」です。

 しかし、この欠乏感は、どんなに、何を達成しても満たされることのないものです。また自分を必要以上に大きくしようという行為自体が、宇宙の調和を乱す元となってしまうかもしれないのです。

 ここを脱出するために、達成するという考え方から成長するという考え方に進化するのです。何か目標に向かって困難を乗り越えるのは、達成するためではなく、その困難は自分が成長するために存在するということに気が付くのです。

 こうなってくると、困難というものの意味付けが大きく変わってきます。勝者になる考え方や達成する考え方をしている間は、困難というものは乗り越えなければならない苦であり、ネガティブなものでした。ところが、成長するという考え方に立つと、困難は成長するために必要なものであるとポジティブに捉えることができるようになります。

 このように考えられるようになると、夢に対する考え方も変わってきます。夢というものは大きなもので、困難を伴うと考えてきたものが、困難そのものが自分を成長させてくれるものであり、それ故、大きな夢を持つのだと。

 前節で、「夢は、個人的な欲望でよい」と述べましたが、自己の成長をもたらす欲望であり、単に「何もしないでよい」とか「ラグジャリーな暮らし」といったものでは、本質的な幸せには繋がらないのです。

0 件のコメント: